ドワンゴの新規教育事業、通信制高校について思ったことメモ(大学で教育について学んだことを通して)
教育実習の感想や考察を色々書いてはみたんですが、つい先日ドワンゴの(真の)通信制高校の発表がでて、うまくまとめれなくなった感じです。
僕が中学高校の頃には、「すべての授業がインターネットで受けれればいいのに」と強く思っていましたし、大学の間もずっと思っていました。教育の授業や教育実習に行くにあたっても、この考えは本当に正しいのか、という思いで受けましたし、この発表が出る前である教育実習直前にFacebookでもそのことを書いていました。ですから、ドワンゴが通信制高校を発表した時に、まさにピンポイントの話が出ていて、本当に驚きました。地でやりやがった!と。
文章でまとめれなくなったので、雑多とした箇条書きで、まだ草案、メモの状態ですが、書いておきます。元々はノート3冊半からのまとめなので、これでもかなりまとまっているんですが…。
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高校の時に授業はインターネットでするべきだと思っていた理由
- 学校に行かなくてよく、合理的
- 制服などの規則・雰囲気に縛られない
- 自由に、一番学べる体制で学べる
- 自分の学習ペースで学習を進めることができる
- 学校では学ぶことの出来ないことが学べるのではないか
この辺、「ユーザー各々のペースに合っている」という議論で、少しだけ
ニコニコ静画にコメントを流すのがぎこちなくなる理由とか。 - north-memo
と考え方が似ている。生徒はユーザーだが、この教育事業は「サービス」と考えることができるか。
大学の教育の授業で学んだこと
- (教科)教育に求められることは、時代によって周期的に変化している
- 「先人の知恵・知識を受け継ぐ」というものと、「それを社会的に活かすことができる」というものがあり、教育の歴史を見ると、それは周期的にどちらかに寄るように変化している。
- 教育の多面性
- 教育は教科指導だけでなく、人間的指導も含まれていて、教科指導と同じ、もしくはそれ以上のウェイトを占める
- 人間的指導はある程度方針や教育理論が確立されている。
- 生徒の多様性により柔軟でなければならないので、裁量も多く難しい
考えたこと
- デジタルは符号化であるので、アナログから情報が削ぎ落とされる面がある。
- 人間的指導は、人間対人間でないと伝わらない面や、オンライン(つまり何かデジタルが媒介する状態)では十分に柔軟でない面がある。
- 多分教科教育に関しては、インターネットによる教育のほうが効率的な面がある。
- ただ、「なぜ人間的指導は高校まで行うべきなのか」はまだ理解できなかった。
- 日本の「教科」教育の平均が世界でも高いのは、カリキュラム、つまり教科書と、教育制度による教育を受ける機会の均等化によるもの
- 教育界は、まだ教育界で考えが閉じていることが多い
教育実習に行って感じたこと
- 学校教育では、基本的に人間的教育と教科教育はほぼ常に両立して(もっと言えばハイブリット的に)指導を行う。
- 例えば授業では、教科を教えるだけでなく、その中で生徒対生徒、生徒対先生のコミュニケーションや、生徒の感情に十分に配慮する。
- コミュニケーションがあると、それに教科教育をのっけてあげるイメージで、双方向、というよりも、生徒が自発的に物事を解決する動線をスムーズに張れる。
- これによって、問題解決能力を身につけさせることができる可能性が高まる。
- 「問題解決能力」と「知識や技能の多さ」は別の次元であり、育て方も別次元で考えなければならない。
- 要するに、その単元の肝を生徒側が自発的に導ける動線が必要であり、それを引くにはコミュニケーションがあったほうが円滑である
- ↑はプリレンダ(従来の映像による教育)では難しい。
- 以上を踏まえ、今回の教育実習では、なるべく学校だからできる授業を展開するように心がけた
- ↑学校だからできる授業????????←どうしてこんな項目を建てたかというと、そもそも学校だからできるということを追求しても、それは作り手の問題であって、使う人には必要でないかもしれないから。どちらかというと、学校のほうが「便利、効果的」というようなことをやらなければならない。(今回は一応出来ていた)
- 人間的指導に関することもたくさんやったが、今回のテーマには交わらなかったので省略
- ただ、ひとつ言えるのは、高校生はもう大人のようだが、教師や環境によって性格がどんどん変わる未成熟な状態である。
- 高校でもなお人間的教育が(当然小中よりは薄くしても良いが)必要。
- 端的にまとめるとするならば「予備校・塾講師≠学校教師」であり、「予備校・塾で教えてたから教育実習なんか簡単だろと思っていた人が痛い目を見る」というのが教育実習である。
- 教師は専門職である
自分の小中高を振り返って
- 「人間的教育と教科教育はほぼ常に両立して(もっと言えばハイブリット的に)指導を行う」というのは非常に高度な技術であり、難しい。
- 自分が出会った教師は、すべて↑が出来ていた。
- 自分が小中高ずっと通えた理由であり、非常に幸運であった。
- 「この学校に通ってよかった」と思う理由に、純粋に教科教育にカテゴライズされるものは少ない。
- 人間的なものが多い
- ただ、これは高校によらない(気がする)
インターネットの教育を考えると…
- 「立場をわきまえた」教育が必要
- インターネットは手段として一度デジタルによって符号化することで効率化を図るもので、その他の情報は落ちていることがあるので、それに注意をする。
- 「学校教育の再編集」ではなく、新たなクリエイションが必要である。
- 言いたいのは、学校教育の再編集では、インターネットを使った教育はほぼ不可能ということ
- 教科教育と人間教育の両方の側面で社会システム全体から見て考えなおす必要がある
- 「行ってよかった」と思える高校を作る必要がある
- 教科教育だけでない付加価値が必要不可欠である
- 僕はこれに参画したいのか?
- もし対象が異なるのであれば、僕は向いていないのかもしれない。
- 人を育てるということは、哲学が必要…
まだうまく自分でも結論が出せていないし、ブラッシュアップ出来ていないので、この話題はもう少し考えたい。
正直、本音は一番最初の「高校の時に授業はインターネットでするべきだと思っていた理由 」に集約されていて、これが結論になってくるのかなとも思う。