north-memo

日常のメモをしている

ADHDについて少し書く.

www.nicovideo.jp

僕とADHD

教員免許を取る過程で(結局取ってないんだけど)ADHDについていろいろ見たり調べたりしたんだけども,
自分は医師の診断は無いものの,どう考えてもADHDであることがわかった.今は重度ではないけど.
しかし,子供の頃は深刻だったなぁと思う.

  • 小学校の通知表には週5で忘れ物する
  • 名札は50回以上買い直した
  • 片付けは当然出来ず,
  • それが原因で物をなくす経験(書類から,ノートから教科書,鍵盤ハーモニカのホースなどなど…)も多々

非常にやばい生徒児童でした.
学校以外でも,

  • ゲーセンに行けば財布を置いたままにして忘れる
  • やって置かなければならないことが出来ないことも何回も何回もあった.

今も随分マシにはなったけど,
片付けは出来ないし,忘れ物もするし,やって置かなければならないことも忘れることが少しある.バイトだって課題だって忘れたことある.だから,軽度にはなったけど,今もADHDだと思う.iPhoneを何度かトイレや外に置きっぱなしにした.(後から場所を思い出して取りに行けるだけマシでしたが….)
ですから,社員証とか,なくしたら怒られるものを常に身につけておくという行動がすごく怖い.身につけているものは大抵どこかに置いてしまうから.自分の体はそういう風にできてるというのは,もう経験上分かってしまってるので,すごく怖いのです.
ADHDの気持ちは痛いほどわかるし,この動画をみて普通に涙してしまった.

個人的にわかってほしいこと

コメントで批判も,甘えだろ,というコメントもたくさんあった.
ADHDの辛いところは,ADHDの人はADHDじゃない人の気持も分かるということ.
だから.僕もこの動画を見て「甘えだろ」と思ったし,逆に確かにそれは分かってるのに出来ないんだよなぁと思った.

言いたいのは,まず,悪いことに対しては,ADHDの人を怒ってもいいと思います.自分も怒ってしまうと思います.
それは常識で,それが甘えに見えるという感覚は身につけたほうがいいと思います.
一方で,それで悩んでることも,全部じゃなくていいので.理解して欲しいのです.本当にほんの少しでもいいのです.
それで,次に,ADHDの人にはそれぞれ対処法(治療法というものを指しているわけではないです)がある,ということ,
対処法,というより「理解の仕方」があるという方が正しいかな.
例えば,「片付ける」と言う時に,その理由として
「必要なものに迷うこと無くアクセスできる(物を無くさない)ように」
というものがあるが,逆に考えると, 「必要なものに迷うこと無くアクセスできる(物を無くさない)ように」するための解決策として,
必ずしも「片付ける」というものが常に正しいとは限らない(結局は片付けるというところにも戻ってくるんだけども)という思考をしていることがある.
つまり「片付けなくてもいい部分もあるだろう」ということ.ある程度のものにアクセスできるようにすれば,それ以外は片付けなくていい. それでは美的感覚がという人もいるが,そもそも美的感覚は人それぞれで,それが多少落ちているのはADHDだろうとそうでなかろうと関係ないと思います.まぁ落ち過ぎな場合は注意すべきですが.
そして,それほど重度のADHDでなければ,片付ける意味について自分なりに理解した時は,片付け,本人にとっては「物を無くさないコツ」を実行できます. だから,叱る一方で,その理解の手助けをして,解決策を先に頭ごなしに言うのではなく,「理解の仕方」や,その人なりの解決策が出るまで,一旦自由にさせてあげて欲しいのです.
「〜〜だから片付ける」という話ではなく,「〜〜を無くさないためにはどうするのが『コツ』か?」と言ってみて欲しいです.
そうすれば,迷惑をかけていること自体は分かっている分,大人になるうちにノウハウを積み重ねて,ADHDであることを理解したとき,どうすれば人に迷惑をかけないかをちゃんと考えることが出来るはずだと思っています.
ただ,副作用として少し消極的になってしまうこともあるかと思います.それについては簡単で,人より優れている能力を認めて・褒めてあげるといいです.

最後に

家族をはじめ,周りの人には本当に感謝しかありません.ありがとうございます.
これからもご迷惑をかけないよう,自分は忘れてしまう,集中力の持たない人間だと言うことを踏まえ,対策をしていきますが,
ご迷惑をお掛けしてしまった場合は,本当に申し訳なく思います.

【メモ】vagrant upが失敗したら

これはただの個人的メモです。原因追求を一切していません。

吐くエラー

The provider 'virtualbox' that was requested to back the machine 'default' is reporting that it isn't usable on this system. The reason is shown below:

VirtualBox is complaining that the kernel module is not loaded. Please run VBoxManage --version or open the VirtualBox GUI to see the error message which should contain instructions on how to fix this error.

解決策

sudo /etc/init.d/vboxdrv setup

状況

vagrant起動中に不意に電源が切れ、再起動した時に起こる。

予想

どうもvirtual boxのkernelをrecompilingしている様子。

参考

d.hatena.ne.jp

10年間関わってきた「三つの木」というボランティアを卒業した。

三つの木を卒業しました。卒業にあたり、振り返ってみます。

三つの木というのは、正式には合志市が主催している「三つの木の家宿泊自然体験研修」というもので、年に3-4回開催され、小学生4-6年生が4日〜1週間ほど「三つの木の家」通称みつのきとよばれる合志市のログハウス型宿泊研修施設に通いながら集団生活をする、というものです。今回は50回目でした。

この事業は僕が小学生の頃にはすでに13回めを迎えており、人気の事業のため、毎回抽選となっており、僕はこの活動が(何故か)大好きで、毎回応募し、抽選から外れた時も毎回キャンセルを直前まで待っていました。土器を作ったり、火起こししたり、座布団を投げたり、サッカーしたり、留学生と喋ったり、ビデオカメラに夢中になったり…様々な活動をしていました。参加しすぎて指導員さんが言う教訓を一字一句完璧に覚えたり、ウォークラリーのクイズを覚えてしまい、差し替えさせてしまうほどでした。何がそうさせたのかはあんまり覚えていませんが、本当に好きな活動であったことは確かでした。

このような研修の多くでは、施設の先生方が指導をされることが多いのですが、みつの木では「青少年リーダー」と呼ばれる高校生・大学生を中心としたボランティアで研修中の子どもたちの指導にあたります。三つの木の大きな特徴の一つです。調理や行事の内容などまでも、地域のボランティアのサポートのもと行われています。

僕が小学生の時に参加していた時も、この「青少年リーダー」という存在は兄貴・姉貴分のような特別な存在で、年の近い青少年リーダーだからこそ言うことを聞けた部分もあるし、青少年リーダーがいたからこそ楽しいと思うことが非常に多かったです。青少年リーダーと共に羽目を外しすぎて怒られたりしたこともそれはそれで楽しく、いい経験でした。

高校2年生の時に、母がこの「青少年リーダー」の応募を市の広報誌から見つけてくれ、「青少年リーダー」として参加をしました。最初は僕が小学生の頃に青少年リーダーだった人たちが、青少年リーダーを続けており、非常に感動というか、兄貴分だった人たちと同じ役割になる、という不思議な感情になったのをよく覚えています。

それからというもの、今日まで青少年リーダーとして三つの木に行き、子どもたちと遊び、遊ばれ、僕が小学生だった時は、こんなにも迷惑をかけていたのかと猛省しながら、体の限界まで小学生と接していました。今でこそ3泊4日ですが、僕が小学生の時は1週間ですので、非常に大変だったんだろうなぁと思います。

僕は大人っぽい(=老けてる)と言われることが多いですが、根は非常に子供っぽい性格で、子どもに勝負を持ちかけられると、大人げなく本気で挑んで泣かせてしまったり、子どもに言い返されると本気で言い返してしまい、本気で子どもを嫌いになることもあり、学校の先生のように面倒見は良くなく、子どもはあまり得意ではないようでした。

それでも、子どもが全く見ず知らずの人と友達になっていく、もしくはなっていこうとしていく様子を見て、子ども、と思うことをやめ(同時に、自分が大人と思うこともやめ)、友達と思うことにし、毎回たくさんの参加した小学生と友達になっていきました。これは、ある程度年の近い「青少年リーダー」でないとできない芸当であり、他の活動とは違う「青少年リーダー」の意義のように感じています。

僕が小学生だったころの青少年リーダーは、もう先に卒業されましたが、本当に子どもと接するのが上手というか、友達になるのが本当に上手で、どう真似しよう、越えようと思っても結局今回僕が卒業するまでそれは達成できませんでした。今でも家族以上に兄貴・姉貴のような存在であり僕の中でのレジェンドです。

参加側としては、小学3〜6年生(当時小学3年生は日帰りで参加できた)、青少年リーダーとしては高校2,3年生、大学1〜4年生の今日まで、計10年間、つまり人生の約半分は三つの木にお世話になったことになります。月並みな感想ですが、長いようで非常に短く感じる時間でした。これからは東京に出ることになりますが、参加側としても、リーダーとしても心から誇りに思える活動であり、みつの木はこれからも僕の帰ることのできるもうひとつの家であります。

SuperPuzzleMakerというサイト&システムを作りました。

2015/11/1に、うちの大学では「夢科学探検」という、主に小学生向けの催し物がありました。僕も子供の頃行ってたんですが、参加する側から開催する側になったのかと思うと、年をとったなと思う次第です。

僕ら数学科も出展をすることになりまして、企画を考えた結果、パズルがいいんじゃないか、ということになりました。

ただ、パズルを遊ばせるだけでは面白くないので、僕なりにできそうなことを考えた結果、 パズルを「あそぶ」コーナーと、パズルを「つくる」コーナーを作り、「つくった」パズルは「あそぶ」で遊んでもらい、「あそんだ」結果を「つくる」側にフィードバックすると、遊ぶ側も、同年代がつくるパズルを楽しめるし、つくる側も反応が見れて面白いエコシステムになるのではないか、と考えました。 しかし、つくっても即座に「あそぶ」からフィードバックを返すことは難しいので、インターネットで公開し、あとから見れるようにすれば、返せるのではないか→そういうアプリを作ればいいかも、という考えに至りました。

というわけで、今回SuperPuzzleMakerとして、初PHP+MySQLによるアプリケーションを作成しました。製作期間は1週間弱ぐらいでした。 拙いコードで非常にお恥ずかしいですが、GitHubに公開しました。

github.com

PHPMySQLは勉強したものの、それで何かをつくるということがなかったので、結構苦戦しましたが、なんとか完成まで持って行くことが出来ました。反省点は多くありますが、またアプリケーションをつくるときに反映できたらと思います。

SuperPuzzleMakerというタイトル、モチーフもろもろパクっていて、デザイナーとしてこれでいいのか感は作りながらかなり感じていましたが、非営利で教育機関がやる文化祭の時に学生のよくある「パロディ」として、どうかお許しください…。

ちなみに、11/1-11/3まで公開しましたが、合計で8000アクセスも利用してもらえました。これについて色々質問してくださった親御さんもいらっしゃって、満足な結果を得られました。イベント開催期間は5時間でしたが「つくる」で作ってもらった作品数は、全部で105作品、「あそぶ」で問題を解いてもらった回数は380回でした。当日のスタッフの皆さんは本当にお疲れ様でした…。かなりのクエリを処理したサーバーもご苦労様でした。かなり使われていたようで、大変嬉しかったです。

卒論やゼミなどがあり、作れる時間がだんだんと減っていきますが、つくるのはとても楽しいので、時間があればどんどん作っていければと思います。 今はロボコン部内でMarkdownテキスト生成アプリケーションを作っています。またできたら公開しますね。

ではでは。

東京についた

明日からインターン(参照→明日から(また)インターン1 - north-memo)なので、昨日の午後8時から飛行機とバスと徒歩で4時間かかって東京入りし、12時丁度にホテルの到着した。

明日はいろいろ準備をすると思うが、何はともあれデザインやツールのリハビリから始めることになりそうだ。

 

今回の目標

  • 積極的にエンジニア勉強会に参加すること
  • もっと緻密にデザインを考えること
  • 先輩の助言を多くもらうこと
  • 以前見ただけで声をかけれなかったの会長に声をかけてみること

 

楽しみだ。がんばろう。

 

@各位
よろしくお願いします。

明日から(また)インターン1

節目なので、記録に残すことにする。

 

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普段は数学やプログラミング・コーディングをしているので、あんまりデザインができない。そのため、長期休みにインターンとして、少しでもデザインが良い環境でできることは、非常に重要な経験になると思っている。

事実、Facebookやデザイン系の記事などで、同世代の活躍が目覚ましい。端的に言うと、感想としては悔しい。非常に悔しい。なるだけ、自分の形で越えて行きたい。

そこで、人事の方に、なるべく長期休みはインターンを行ってほしいと無茶を申し上げたところ、快諾して下さり、内々定承諾をしてすぐにインターンを行って下さり、更に夏もインターンを行ってくださる運びとなった。

 

 

そんなことより、東京は田舎者にとっては、非常に怖いところだ。(自分だけであるか)

あんなに大量の人がいるのに、ほとんど全員他人であるということがうまく理解できず吐き気が止まらなかった。友人と一緒にいれば平気なのだが。suicaを持ってないと時代遅れだし、高いビルを見上げたら田舎者だと思われるだろう。

それに、オシャレじゃないと笑われるんじゃないか、そんなことない、と頭では分かっていても「トウキョウ」という言葉がひとり歩きして、そんな強迫観念に駆られることもある。

だから、普段滅多に服を買わないが、東京に行く前は、かならず服を買う習性がある。

昨日もユニクロに行った。ユニクロでいい服を買うコツは、ユニクロらしくない服を買うことだと思っている。僕自身が無地が好きなことも理由にあるが、柄物だったり、絵が入っていたりするものではなく、無地のどこにでもありそうなものが良い。ザッカーバーグや故スティーブ・ジョブズのように毎日同じ服装でもいいが、彼らは忙しさと選択に使うストレスを減らすために毎日同じ服装をしている。

一方で、僕は基本的には暇人なので、ある程度選ぶ楽しみがあっても良い。そこで、無地で同じ形でも、違う色になるように選ぶようにしている。選択は本当は楽しいものであるべきだ。

前回は冬終わりで寒かったので、無地のパーカー(ユニクロ)を買っていたが、今回は無地の洗いざらしのシャツ(リネンコットンシャツと書いてあった)をユニクロで4枚購入した。(冒頭画像)

今回は、この洗いざらしのシャツと、黒のチノパンで8/4の夜~9/9の夜まで約1ヶ月過ごすことにする。

 

会社の方々、明日から社内で洗いざらしのシャツを着てキョロキョロした大柄な目の細い男がいたら、気軽に声をかけて頂きたい。

 

最近は、授業のプレゼンを作ったぐらいで、あんまりデザインらしいことはしていないので、まずはリハビリから始めて行くことにしたい。

 

実は、前回のインターンでは、当然デザイン作業に集中すると画面しか見えていないのだが、ある程度進捗が進んで気をゆるめてみると、自分がいるのは、憧れていたドワンゴの社内であり、周りを見渡すと、ニコニコを動かしている人々が、場所がそこにあって、目の前で繰り広げられていて、自分がそこに存在していることの事態の大きさにふるえてしまって、しばらく動けなくなることが多々あった。多分この感情は、今回のインターンでも当然起こるであろうし、入社後も度々ずっと起こりそうで、慣れなさそうだ。

 

不安と期待のドキドキの中、今日の最後のテストに向けてテスト勉強を進めていこう。

 

というわけで、よろしくお願いします。お昼とか気軽に誘ってください…。

ドワンゴの新規教育事業、通信制高校について思ったことメモ(大学で教育について学んだことを通して)

教育実習の感想や考察を色々書いてはみたんですが、つい先日ドワンゴの(真の)通信制高校の発表がでて、うまくまとめれなくなった感じです。

ed.kadokawadwango.co.jp

 

僕が中学高校の頃には、「すべての授業がインターネットで受けれればいいのに」と強く思っていましたし、大学の間もずっと思っていました。教育の授業や教育実習に行くにあたっても、この考えは本当に正しいのか、という思いで受けましたし、この発表が出る前である教育実習直前にFacebookでもそのことを書いていました。ですから、ドワンゴ通信制高校を発表した時に、まさにピンポイントの話が出ていて、本当に驚きました。地でやりやがった!と。

文章でまとめれなくなったので、雑多とした箇条書きで、まだ草案、メモの状態ですが、書いておきます。元々はノート3冊半からのまとめなので、これでもかなりまとまっているんですが…。

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高校の時に授業はインターネットでするべきだと思っていた理由 

  • 学校に行かなくてよく、合理的
  • 制服などの規則・雰囲気に縛られない
  • 自由に、一番学べる体制で学べる
  • 自分の学習ペースで学習を進めることができる
  • 学校では学ぶことの出来ないことが学べるのではないか

この辺、「ユーザー各々のペースに合っている」という議論で、少しだけ

ニコニコ静画にコメントを流すのがぎこちなくなる理由とか。 - north-memo

と考え方が似ている。生徒はユーザーだが、この教育事業は「サービス」と考えることができるか。

 

大学の教育の授業で学んだこと

  • (教科)教育に求められることは、時代によって周期的に変化している
    • 「先人の知恵・知識を受け継ぐ」というものと、「それを社会的に活かすことができる」というものがあり、教育の歴史を見ると、それは周期的にどちらかに寄るように変化している。
  • 教育の多面性
    • 教育は教科指導だけでなく、人間的指導も含まれていて、教科指導と同じ、もしくはそれ以上のウェイトを占める
    • 人間的指導はある程度方針や教育理論が確立されている。
    • 生徒の多様性により柔軟でなければならないので、裁量も多く難しい

 

考えたこと 

  • デジタルは符号化であるので、アナログから情報が削ぎ落とされる面がある。
    • 人間的指導は、人間対人間でないと伝わらない面や、オンライン(つまり何かデジタルが媒介する状態)では十分に柔軟でない面がある。
  • 多分教科教育に関しては、インターネットによる教育のほうが効率的な面がある。
  • ただ、「なぜ人間的指導は高校まで行うべきなのか」はまだ理解できなかった。
  • 日本の「教科」教育の平均が世界でも高いのは、カリキュラム、つまり教科書と、教育制度による教育を受ける機会の均等化によるもの
  • 教育界は、まだ教育界で考えが閉じていることが多い

 

 

教育実習に行って感じたこと

  • 学校教育では、基本的に人間的教育と教科教育はほぼ常に両立して(もっと言えばハイブリット的に)指導を行う。
    • 例えば授業では、教科を教えるだけでなく、その中で生徒対生徒、生徒対先生のコミュニケーションや、生徒の感情に十分に配慮する。
    • コミュニケーションがあると、それに教科教育をのっけてあげるイメージで、双方向、というよりも、生徒が自発的に物事を解決する動線をスムーズに張れる。
    • これによって、問題解決能力を身につけさせることができる可能性が高まる。
    • 「問題解決能力」と「知識や技能の多さ」は別の次元であり、育て方も別次元で考えなければならない。
    • 要するに、その単元の肝を生徒側が自発的に導ける動線が必要であり、それを引くにはコミュニケーションがあったほうが円滑である
    • ↑はプリレンダ(従来の映像による教育)では難しい。
  • 以上を踏まえ、今回の教育実習では、なるべく学校だからできる授業を展開するように心がけた
  • ↑学校だからできる授業????????←どうしてこんな項目を建てたかというと、そもそも学校だからできるということを追求しても、それは作り手の問題であって、使う人には必要でないかもしれないから。どちらかというと、学校のほうが「便利、効果的」というようなことをやらなければならない。(今回は一応出来ていた)
  • 人間的指導に関することもたくさんやったが、今回のテーマには交わらなかったので省略
  • ただ、ひとつ言えるのは、高校生はもう大人のようだが、教師や環境によって性格がどんどん変わる未成熟な状態である。
    •  高校でもなお人間的教育が(当然小中よりは薄くしても良いが)必要。
  • 端的にまとめるとするならば「予備校・塾講師≠学校教師」であり、「予備校・塾で教えてたから教育実習なんか簡単だろと思っていた人が痛い目を見る」というのが教育実習である。
  • 教師は専門職である

 

自分の小中高を振り返って

  • 「人間的教育と教科教育はほぼ常に両立して(もっと言えばハイブリット的に)指導を行う」というのは非常に高度な技術であり、難しい。
    • 自分が出会った教師は、すべて↑が出来ていた。
    • 自分が小中高ずっと通えた理由であり、非常に幸運であった。
  • 「この学校に通ってよかった」と思う理由に、純粋に教科教育にカテゴライズされるものは少ない。
    • 人間的なものが多い
    • ただ、これは高校によらない(気がする)

 

インターネットの教育を考えると… 

  • 「立場をわきまえた」教育が必要
    • インターネットは手段として一度デジタルによって符号化することで効率化を図るもので、その他の情報は落ちていることがあるので、それに注意をする。
  • 「学校教育の再編集」ではなく、新たなクリエイションが必要である。
    • 言いたいのは、学校教育の再編集では、インターネットを使った教育はほぼ不可能ということ
    • 教科教育と人間教育の両方の側面で社会システム全体から見て考えなおす必要がある
  • 「行ってよかった」と思える高校を作る必要がある
    • 教科教育だけでない付加価値が必要不可欠である
  • 僕はこれに参画したいのか?
    • 非常にエネルギーと熱意と覚悟がいるが、やりたい。
    • (なぜか)僕がインターネットで授業を受けられたらいいと思う理由の最後「学校では学ぶことの出来ないことが学べるのではないか」はほぼ今回のドワンゴ教育事業に一致している。
    • 自分が中高大と思っていたものの解決である可能性
    • 教科教育の効率化(ネット授業やアプリによる教育など)ではなく、「高校」という教育機関を作っているということ
    • いわゆる「一流」の仕事に近いかもしれない
  • もし対象が異なるのであれば、僕は向いていないのかもしれない。
  • 人を育てるということは、哲学が必要… 

 

 

まだうまく自分でも結論が出せていないし、ブラッシュアップ出来ていないので、この話題はもう少し考えたい。

正直、本音は一番最初の「高校の時に授業はインターネットでするべきだと思っていた理由 」に集約されていて、これが結論になってくるのかなとも思う。